新四国相馬霊場第49番






下高井普蔵山高源寺、
 永仁元年(1293)夢窓正覚国師大和尚開山、高井城主であった高井胤永(相馬次郎重胤)の菩提寺です、墓地内に陵墓があります。

 御本尊、承平元年(931)平将門による釈迦如来
 移し寺、愛媛県西林山浄土寺
 ご詠歌、十悪のわがみをすてずそのままに 
            浄土の寺へまいりこそすれ



 樹齢1600年の歴史の
 ケヤキと欅地蔵


 大師堂は本堂左側の石段上にあります。


 千葉県野田市と柏市に残る、利根運河に貢献した「廣瀬誠一朗」の墓があります。

 広瀬家の祖先は、高井城主であった相馬小次郎の重臣でした、高源寺は高井城主の菩提寺であり陵墓が残っています。
 今もなお広瀬家は、代々から城主の墓守りとして管理されているご様子です。

 このような広瀬家の誠一郎は、幕末に生誕しその生涯を利根運河に労しました。
 明治15年群長という役職で岡堰の改修を行い、その後、利根運河の建設に遁走したのですが県令事業としては頓挫した為、民間会社「利根運河会社」を設立して運河を完成させたのです。
 利根運河により、水海道や取手、土浦や銚子から東京への交通は、地域を活性化し閏しました。

 広瀬家に残る、江戸城無血開城の立役者である勝海舟の書と廣瀬誠一郎との関係 ?
 幕臣側の危険人物とさえいわれた人見勝太郎(寧)との友好関係。更に詳しくは次の下線付き文字をマウスクリックでリンクしてください。
      「利根運河と広瀬誠一郎」 




 

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