新四国相馬霊場第50番
第 五 十 番 |
下高井集会所、(目印は火の見やぐら) 下高井村別当東光寺(廃寺)薬師堂 ご本尊、薬師如来立像 移し寺、愛媛県東山繁多寺(はんたじ) 御詠歌、よろずこそ 繁多なりとも怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ |
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光 寺 は 廃 寺 で す |
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高井城趾公園の高井城跡 高井城主の高井十朗直将は大鹿城を敵の一色宮内から奪還した武将です。 また、取手市内では城郭がしっかり残る唯一の城跡で公園として残されています。 長治元年(1104)信太(しだ)郡の信田小次郎重国が開城、後に相馬小次郎を名乗る。 後世の高井十郎民部太夫胤永は天正18年(1590)小田原で豊臣軍に北条氏と共に敗れました。 徳川時代となっても重臣として徳川家に仕えたと聞く。 取手市内で一番古い建物 集会所になっている薬師堂の建物は16世紀後半の遺構といわれています。 礎石に乗せた柱や天井の垂木の加工に粗さと古さが伺えます。 建物は小堂の造りとは言い難く民家の造りで江戸末期頃の建築と伝わる。 |