新四国相馬霊場第62番札所





「野の井」の白山神社
御本尊、白山神社御神体の白山姫命
相馬霊場の御本尊は十一面観世音菩薩
移し寺、愛媛県天養山宝寿寺
ご詠歌、さみだれのあとにいでたる玉の井は
          しらつぼなるや一の宮かわ


正面が六十二番、右が本殿

養老二年(718)長束三兄弟が加賀国の白山神社を勧請して創建、
享保12年(1727)以来からの棟札が残されており、神社の改装や屋根の葺替え修復の
歴史を知る貴重な資料となりました。
この神社には、本能寺城の城跡の言い伝えが残っています、境内を囲むように高さ50㎝
~170㎝の土塁が廻っていて、本能寺とは、堀之内の転訛したものと考えられています
(取手市史より)
 この神社には神主がいない、会番といって各集落の2名が月交代で管理していた。
 本殿の彫刻は会番に頼むと見せてくれた、女性は「駄目」といっていたが、結局は参拝許可がでて、妻と一緒に見せて頂いた。
 本殿の壁には中国の二十四孝の一部が彩色彫刻されています。



白山姫尊は見る事ができなかった「誰も見たことが無い」との話しでした。


右壁の彫刻、虎に襲われた親の身代わりなろうとする孝子


「背面」寒中に親が食べたがっている筍を掘る図、


「左壁」貧しさのため親に孝養が尽くせないので口減らしのため子を地中に埋めようとして地を掘り金の釜が出てきたという話、

 オビシャは一月十七日「魚篩(さかなふるい)」という珍しい行事が行われる。
とうげ(斗桶、一斗入りの桶)に木を魚の形に彫った物を入れたわら縄つけ、裃に袴に刀を差した二人の男の子がこれを神前に曳いていく。
この時「ムックリ、シヤツクリ・ズーイズーイ」と囃し、周囲の大人もこれにあわせる

取手市野の井白山神社の、現在のオビシャ祭りを掲載。
2005年1月16日(日)15:00 - 15:55

 当日は朝方からの雨が止まず、祭典も雨の中での祭となる。
 オビシャの目的は、今年の五穀豊穣と子宝授受であると云う。
 野の井の四つの部落で、各部落毎に子宝授受の為の子供(小学校低学年)と神事に使われる「おみき膳」が用意される。
 五穀豊穣の祭典の為の鳥の絵が描かれた神的井に手作りの弓と弓矢が用意されている。

村人は午後2時半頃、紋付き袴に脇差し姿の子供を先頭に鳥居をくぐって境内に入って来た。男ばかりである、女が居ないのは白山姫命の神の為で女人禁制という事だそうだ
総勢約60名程の参加者で、50畳の拝殿は一杯になってしまった。



 奥殿に飾られた供物六膳と御神酒、さかきの祭壇の更に奧に本殿があり白山姫命が祀られているが、姿を見せなかった。
 参加者全員の「さかき」の奉納が終わると、白山金比羅神社から来られた大手(おおいで)宮司の祝詞でしめやかに始まる。

子宝授受祈願の祭が始まる、
「魚ふるい」という古式を簡素化された方式に変わっていた。
 2つの部落毎に行われ、同じ式事を2回行う事になる。
 子供は「酒膳」を持ち背後の男と一緒に、神官の前で酒膳からおみきを注ぐ、神官は2つの部落の酒膳からおみきを受け、それぞれのおみきを黒椀の中に混ぜ会わせそれを飲み干す。
 神官が両手を広げると一斉に「ムックリシャックリズーイズイ」と掛け声がかかり同時に子供はゆっくりと3、4歩後ずさりし、再び「ムックリシャックリズーイズイ」で神官の前に戻ってくる。
 同じ行為を3回繰りかえされた後、左右の子供が入れ替わり、それぞれの子供は相手の部落の参加者に酒を振る舞い、終了する。

 神官は、2人の子供から受けた、それぞれのおみきを黒椀に移して混ぜる、という行為の意味と最後の子供が相手の部落の参加者におみきを振る舞うという行為に、お互いの部落への好意的交換と和合を願ったものと感じた。

 3回繰り返される掛け声の意味は、「ムックリ(ボックリとも言うが男の勃起)、シャックリ(女の快感)、ズーイ ズイ(性行為そのもの)」を露骨に表す男性だけの祭での男の子への日本古来の性教育に通じる掛け声のようだ。

五穀豊穣の行事。雨があがっていた(不思議)
 本殿の後ろの右側奧に日天(にってん)本来は「うさぎ」本殿左側東。
 同じく左側奧には月天(がってん)「とり」本殿右側西が祀られている。
 日天月天共に、各部落から持ち寄った「鳥の的井」が飾られている。
 神官は弓を持ち矢を放ち「鳥の的井」を打ち抜く。
 しかし、子宝授受の儀式での、おみきの振る舞いで酒酔い、なかなか打ち抜けないのが面白い。打ち抜けるまで行い成功すると今度は矢を天に向かって打ち放つ、落ちて来た矢を地面に落ちるまで待ち、その矢を掴み取った部落に五穀豊穣の豊かな恵みがあるという。
4部落分、同じように繰り替えされる。

 鳥を射る、とりをいる、から、「採り入れる」と語呂の変化により「豊かな取り入れ」につながる「鳥討ち」の行事のようでもあり、又、鳥は実りの穀物を荒らすので、実る前の鳥除けの願掛けのようでもある。

 式典は終わるが参加者は集会所へ戻り後片づけと、奉仕してくれた女性陣に感謝の非公式の祭事を行うというが私達は白山神社で失礼しました。

感謝の意。
 撮影の制限を受けずに最後まで好意的に協力して戴く事が出来ました。
 造営奉賛準備委員会の委員長の長塚和夫殿、並びに関係者の方に、お礼を申しあげます。

 4部落が一年毎に白山神社の行事や会番を受けついで来ました、「会番」役は以前は毎日神社に詰めておられたようです。しかし現在は、第2と第4の日曜日だけの様子で境内の掃除を兼ねて午前中奉仕という形に変わっています。
「会番」とは、宮司が居ない神社を守るという役割でした。
 我孫子市新木にある、葺不合(ふきあえず)神社でも会番の制度があるようです、お正月の賽銭の収集や警備を行っておられます。

最後に
 取材の茨城歴史博物館の皆様方の取材ありがとう御座いました。

 オビシャは、今では生活の中では必要がなくなってしまった世相です。しかし、日本古来固有の行事を失いたくありません。
 子供の人口減少の現在、「オビシャを行うのに子供がいなくてね」と、関係者の方が言われていました。
 今回の取材で活気を取り戻せればと深く感じてしまった祭でした。
 雨が最後までやまなかった祭事を後にしました。




 

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