相馬霊場第49番、50番、52番、78番

 新四国相馬霊場第49番






  下高井普蔵山高源寺
 永仁元年(1293)夢窓正覚国師大和尚開山、高井城主であった高井胤永(相馬次郎重胤)の菩提寺です、墓地内に陵墓があります。
 御本尊、承平元年(931)平将門による釈迦如来
 移し寺、愛媛県西林山浄土寺
 ご詠歌、十悪のわがみをすてずそのままに 
    浄土の寺へまいりこそすれ
 





樹齢1600年の歴史のケヤキと根元に欅地蔵が祀られています。
 大師堂は本堂左側、墓地手前の石段上にあります。
 千葉県野田市と柏市に残る、利根運河に貢献した「廣瀬誠一朗」の墓があります。
  広瀬家の祖先は、高井城主であった相馬小次郎の重臣でした、高源寺は高井城主の菩提寺であり墓石が残っています。今もなお広瀬家は、代々から城主の墓守りとして管理されているご様子です。
 このような広瀬家の誠一郎は、幕末に生誕しその生涯を利根運河に労しました。 明治15年群長という役職で岡堰の改修を行い、その後、利根運河の建設に遁走したのですが茨城県令としては事業として頓挫した為、民間会社「利根運河会社」を設立して運河を完成させたのです。
 利根運河により、水海道や取手、土浦や銚子から東京への交通は、地域を活性化し閏しました。

 広瀬家に残る、江戸城無血開城の立役者である勝海舟の書と廣瀬誠一郎との関係?、幕臣側の危険人物とさえいわれた人見勝太郎(寧)との友好関係。更に詳しくは次の下線付き文字をマウスクリックでリンクしてください。
  「利根運河と広瀬誠一郎」 




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 新四国相馬霊場第50番





 下高井集会所、高源寺参道脇
下高井村別当東光寺(廃寺)薬師堂
ご本尊、薬師如来立像
移し寺、愛媛県東山繁多寺(はんたじ)
御詠歌、よろずこそ 繁多なりとも怠らず
    諸病なかれと 望み祈れよ








高井城趾公園の高井城跡

 高井城主の高井十朗直将は大鹿城を敵の一色宮内から奪還した武将です。 また、取手市内では城郭がしっかり残る唯一の城跡で公園として残されています。
長治元年(1104)信太(しだ)郡(現土浦阿見)の信田小次郎重国が開城、後に相馬小次郎を名乗る。 後世の高井十郎民部太夫胤永は天正18年(1590)小田原で豊臣軍に北条氏と共に敗れました。
徳川の時代となっても重臣として徳川家に仕えたと聞く。
  取手市内で一番古い建物
 集会所になっている薬師堂の建物は16世紀後半の遺構といわれています。 礎石に乗せた柱や天井の垂木の加工に粗さと古さが伺えます。 建物は小堂の造りとは言い難く民家の造りで江戸末期頃の建築と伝わる。


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 新四国相馬霊場第52番






  高井城趾跡東側の脇の妙見神社の右路地入る、
明音寺は守谷の西林寺の末寺でしたが廃寺。
御本尊、薬師如来
移し寺、愛媛県瀧雲山大山寺
ご詠歌、たいさんへのぼれば汗のいでけれど
    のちの世おもえば なんの苦もなし
 







 左側の小堂に大師像、右側(大)に大師像と光音禅師像が祀られています。
 小貝川が近くにあり土手に上がると岡堰が見えます、茨城百景の一つでとても風向明媚なところです。
 妙見八幡神社は相馬家の氏神でした。
高井城の城郭内であったので、札所堂左側奥に高井城の大門があったそうです。


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 新四国相馬霊場第78番






野の井の海老原医院の脇の熊野神社境内
山の坊阿弥陀堂(現在集会所)
御本尊、阿弥陀如来三尊(脇侍は勢至菩薩と観音菩薩)
移し寺。香川県仏光山郷照寺
ご詠歌、おどりはね念仏申す道場寺
   拍子をそろえ鐘をうつなり








 ゆめみ野駅徒歩5分正面高地右手側

 明治の廃仏毀釈令により、野の井の白山神社に合祀されましたが、平成16年、村民により熊野神社を、再び戻すことができました。
 地名「山の坊」には天明時代(1781~)西連寺があったそうで、国道294脇の旧道にある、山の坊入り口バス停脇に「藤から地蔵」がある。藤から地蔵近くの常総線の踏切辺りには大門があったそうで、かなり大規模な寺が思い浮かばれる。
 「藤から地蔵」は西連寺の六地蔵の一つといわれています。
 又、高井城より更に古い城跡が現在の高井小学校の近く、新取手団地の東のはずれの大山に、大山城郭の一部の堀跡を残している様子がうかがわれます。大山城主であった久寺豊後守大炊(おおい)左馬之助は、我孫子市久寺家の歴史に繋がる伝承があり、平将門の家臣でした。
 2005年に神社と大師堂は新築されました。
後世に残したい事実
相野谷川の自然湖
2010年春迄の景色


 海老原医院の後ろの低地には相野谷川の本流「どぶ川」があり、現在暗渠となっています。
 この川は取手市内を流れる一級河川の一部で、総延長5Km程の短い川で利根川へ合流しています。
 この相野谷川には、かつて甚五郎沼があり鴨の渡りの越冬湖沼で、晩秋から冬に沢山の鴨が北からやって来ていました。 相野谷湖と呼んでいましたが、池ではなく沼で高井小学校隣「ふれあいの里」の敷地内にありました。


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