新四国相馬霊場長禅寺第1番と第5番と第88番

大鹿山長禅寺境内
御本尊:釈迦如来
 
大鹿山(おおしかさん)とは、現在の取手競輪場辺りをさします

写真左は山門、写真右は三世堂内部からの本堂を映す丸窓です。

御本尊、延命地蔵菩薩
承平元年(931)平将門の勅願所として、白山(現在金刀比羅神社)に、十一面観音を守り本尊として創建されました。
元禄八年(1695)取手の渡しが行政指定、水戸家の命令で水戸街道と定めた為、長禅寺は街道筋である当地へ移りました。




相馬霊場巡りの発願所である霊山(れいぜん)堂が相馬霊場第一番です。
御本尊、弘法大師
ご詠歌、霊山の釈迦の御前にめぐりきて よろずの罪も消え失せにけり
移し寺、徳島県竺和山(じゅわさん)霊山寺(りょうざんじ)



八重桜に囲まれた第五番札所
御本尊、地蔵菩薩
移し寺、徳島県無尽山地蔵寺
ご詠歌、六道の能化の地蔵大菩薩 みちびき給えこの世のちの世

光音禅師が構想していた寺へ開基できなかった大師堂のようです。
欲説では、井野の本願寺(後に高須霊場に深く関与)、利根町の徳満寺
(後に布川霊場の祈願寺となる)では、ないかと推測される。特に明治
以降、布川へのお遍路の旅は敬遠されてきたようだ、だからといって。
第五番との関係に結びつくものなのか疑問は残る。







結願札所(けつがんふだしょ)、巡拝最後の霊場となる札所
御本尊、薬師如来
移し寺、香川県医王山大窪寺
ご詠歌、 南無薬師諸病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺



観覚光音禅師はここにも火葬され永眠(1783年)しています。

小林一茶の句碑 「下総の四国巡りや閑古鳥」があります。
閑古鳥は、カッコー鳥と詠みます、「閑古鳥が鳴く」と言いますと、お客の少ない
寂しい情景を表しますが、この句の、閑古鳥は夏の季語であり。
    夏、カッコーが鳴く境内で、お遍路さんを見かけて詠んだ句です。
長野県小林一茶記念館に確認しました。
「七番日記」(1810年)この頃一茶はここ相馬に度々訪れていました。
布川の古田月船は一茶と親しい関係でした、沢近嶺(さわちかね)は、少年時代に
月船から俳譜を学んでいました。七番日記に、文化11年8月28日から9月4日まで、
月船亭に両者が宿泊している記述があります。

三世堂と全国のさざえ堂、

 三世堂は、通称「さざえ堂」と言うのが一般的です。
 2005年正月、県指定重要文化財になりました。
文暦元年(1234)将門の弟の将頼の子孫と言われる、大鹿左衛門尉綾部時平が
十一面観音堂として建立したと伝えられています。
 宝暦十三年(1763)、長禅寺住職幻堂和尚は、弟子であった光音禅師に、
 朽ちかけた観音堂の改築をまかせました。
 光音は、さざえ堂として百体観音(西国33観音、秩父34観音、坂東33観音)
 の仏像を安置した、百体観音堂を三世堂として再建しました。
 三世堂は、人気となり諸国近隣より人々が集まりました。 取手市史より
十一面観世音菩薩立像は、快慶(安阿弥)作と伝わる?

 以下転載記事 ---------------------------------------

 三世堂(さざえ堂)は、外観は二階、内陣は三階構造となっている。
 三世堂、または観音堂、または百観音堂と呼ばれるお堂です。
 しかし、その実体はさざえ堂なのである。

 このさざえ堂、文暦元年(1234)創建とあるが、現在の形、
つまりさざえ堂形式に再建されたのは、宝暦十三年(1763)です。
発願は観覚光音禅師、建設は地元の大工によるものである。
 寛保元年(1741)に建立されたさざえ堂のルーツといわれる、
    本所五百羅漢寺三匝堂が最古とされている(建立時期に関しては諸説あり)
    だが、建立数年後に(焼失?)倒壊のため、現存しない。

 ここのさざえ堂は一階に本尊十一面観音と坂東三十三ケ所、
二階に秩父三十四ケ所、三階に西国三十三ケ所、の百観音と
三世堂のご本尊十一面観音が奉られているのだが、
基本的なプランとしては埼玉県の児玉町や群馬県太田市のさざえ堂と同じ。
 修復工事を重ねているのと開帳が年に一回だけなのとで堂内はキレイ。

 他のさざえ堂と比べると若干「遊び」が少ないように思えるこのさざえ堂、
しかしよく見ればそこには当時の人々の「からくり」への熱狂の残照が浮かんでくる。
 賽銭の収集方法であるが、百一観音には一体づつ賽銭受けがある、
賽銭は最下段にある収集場所に落ちてくる構造であるのだが、分かり難い。
 外観のデザインとして目を引く正面上層部のふたつの丸窓。
外から見ると二階に見えるのだが、実はこれは三階なのである。
そして正面の賽銭箱の上、丁度鰐口の後にも、庇に隠れて見難いが丸窓がある。
この丸窓がある部分が二階部分なのだ。何やら金沢の忍者寺のようではないか。

 内部は時計回りに三階まで登り、また一階まで降りてくるという一方通行スタイル
階階の中央にある吹き抜け、しかし今は板が張ってありアトリウムのような吹き抜けを
覗き込む事は出来ない。
 今では何という程のことでもないが、三階建てが珍しかった江戸の頃には
ちょっとした「からくり」だったのだろう。

--------------------------------------- 「珍寺大道場」より転載 

 さざえ堂は江戸の本所羅漢寺にあり大ブームとなったが現存しない。
 現在では福島県会津若松市の飯盛山(白虎隊で有名)の三匝堂(さんそうどう)は
国重要文化財となっている。

※開帳は年一度、四月十八日に堂内を公開しています。

全国の「さざえ堂」:さざえ堂は全国にありますが、
ここでは明治期以前からあり、現存するさざえ堂をご紹介します。
福島県会津飯盛山円通三匝堂、群馬県太田市の栄螺堂百体観音、
埼玉県児玉の百体観音堂、青森県弘前市の六角堂の4堂です。

全国の「さざえ堂」2008年5月配布版

三世堂内部写真、2008年4月版




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