新四国相馬霊場第2番






浄土宗念仏院
御本尊、阿弥陀如来
大鹿山弘経寺の末寺
移し寺、徳島県日照山極楽寺
ご詠歌、 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口ぐせにせよ 






 念仏院は弘経寺の末寺であったが戦後独立して一寺となった。
 昔は共同墓地であったため、いろいろな宗派の墓石がある。
 その中に、幕末の取手の生んだ国学者で歌人であった沢近嶺の歌碑と墓がある、新町に居がありました。
 沢近嶺は通称油屋輿兵衛といい、村田春海の門下でした。
 新古今集の歌をよくし、水戸烈公が自ら近嶺の家に駕寵を止めて、歌稿の添削を乞うたほどに有名であした。
 「天つ神 おこせし道を外国の 教えよりとぞ 思うつたなさ」日本古来の教えを絶対的と思い込むのは正しくない、という歌です。
 天保八年(1837)、取手宿の大火で原稿や家財そして蔵書を全て焼失し嘆きの翌年、他界しました。

 取手八景の一つ「念仏院の暮雪」利根川の雪景色は素晴らしい。
 又、大師堂脇に、紀州出身の浄土宗の高僧で、幕末期に庶民の間に名号を授け、十念数えるなど、日夜布教につとめた徳本上人独特の丸い書体で彫った『南無阿弥陀仏徳本」念仏塔がある。
 文化十年(1813)前後、上人は関東、特に利根川流域を巡礼したといわれ、その教えは利益的であったため、庶民に熱狂的に迎えられたという。
 大師堂後方の墓地内から六番への近道です。





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