徳川時代、この地に西照寺という八坂神社の別当寺がありました。
お寺でお守りしていた大師堂のなかには柔和な面差しの大きな弘法大師像と、西照寺の名残の本尊不動明王が矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を従えて安置されています。
取手宿の鎮守、八坂神社は素薫鳴命を奉斉し、地元の人達から「天王様」と親しまれています。
本殿は明治三十六年にたてられ、周囲の壁に細密な彫刻が施されています。
特に左右の向拝柱に登り龍、下り龍の勇壮藻華な彫刻があり、
笠間の名工、後藤縫之助・保之助親子の手によるものです。
境内には寛保三年(1743)銘の華麗な松竹梅を刻んだ、石灯籠や、文化九年(1812)作の関東屈指の大御奥などがあり、往時の宿場の繁栄が偲ばれます。
今も、夏の祭礼は近隣にきこえ、盛大なものです。
西照寺址は、取手市内で最初の小学校である、里仁小学校となりました、現在の取手文化会館がある所です。
里仁小学校は、取手小学校として台宿に移りました。
相馬霊場に残した彫刻師後藤縫之助等の作品

本殿の胴羽目の作者後藤桂林の彫刻説明、他

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