相馬霊場第2番、3番、6番

 新四国相馬霊場第2番




  取影山念仏院、浄土宗鎮静派
御本尊、阿弥陀如来
空寺の昔は大鹿山弘経寺末寺
移し寺、徳島県日照山極楽寺
ご詠歌、極楽の弥陀の浄土へ行きたくば
    南無阿弥陀仏口ぐせにせよ
 






 念仏院は弘経寺の末寺でした。寛永四年(1627)開山創建。
 昔は共同墓地であったためか、いろいろな宗派の墓標がある。
 その中に、幕末の取手の生んだ国学者で歌人であった沢近嶺(さわちかね)の歌碑と墓がある、在銘中は新町に居がありました。沢近嶺は通称油屋輿兵衛といい、村田春海の門下でした。
 新古今集の歌をよくし、水戸烈公が自ら近嶺の家に駕寵を止めて、歌稿の添削を乞うたほどに有名でした。
「天つ神 おこせし道を外国の 教えよりとぞ 思うつたなさ」日本古来の教えを絶対的と思い込むのは正しくない、という詩です。
 天保八年(1837)、取手宿の大火で原稿や家財そして蔵書を全て焼失し嘆きの翌年、他界しました。
 小林一茶との親交もあり、親子ほどの年の差でしたが、両国の一茶宅へ出向いていた様子が日記に残されているようです。
 
 取手八景の一つ「念仏院の暮雪」利根川の雪景色でもあったようですが「今何処」。又、大師堂脇に、紀州出身の浄土宗の高僧で、幕末期に庶民の間に名号を授け、十念数えるなど日夜布教につとめた徳本上人独特の丸い書体で彫った『南無阿弥陀仏徳本」念仏塔がある。
 文化十年(1813)前後、上人は関東、特に利根川流域を巡礼したといわれ、その教えは利益的であったため、庶民に熱狂的に迎えられたという。大師堂後方の墓地内から六番への近道です。



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 新四国相馬霊場第3番




 市民会舘前の八坂神社境内、西照寺址(廃寺)
 御本尊、不動明王
 八坂神社の祭神、牛頭天皇(素薫鳴命の化身)、
 移し寺、徳島県亀光山金泉寺
 御詠歌、極楽のたからの池を思えただ
    黄金の泉すみたたえたる










 江戸時代は、この地に西照寺という八坂神社の別当寺がありました。西照寺でお守りしていた大師堂のなかには柔和な面差しの大きな弘法大師像と、西照寺の名残の本尊不動明王が矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を従えて安置されていました。
 取手宿の鎮守、八坂神社は素薫鳴命を奉斉し、地元の人達から「天王様」と親しまれています。本殿は明治三十六年にたてられ、周囲の壁に細密な彫刻が施されています。
 特に左右の向拝柱に登り龍、下り龍の勇壮藻華な彫刻があり、笠間の名工、後藤縫殿之助保之助親子他の手によるものです。
 境内には寛保三年(1743)銘の華麗な松竹梅を刻んだ、石灯籠や、文化九年(1812)作の関東屈指の大御奥などがあり、往時の宿場の繁栄が偲ばれます。今も、夏の祭礼は近隣にきこえ、盛大なものです。
 西照寺址は、取手市内で最初の小学校である、里仁小学校となりました、現在の取手文化会館がある地です。現在、里仁小学校は、取手小学校として台宿に移っています。
相馬霊場に残した彫刻師後藤縫之助等の作品

本殿の胴羽目の作者後藤桂林の彫刻説明、他



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 新四国相馬霊場第6番




  台宿の薬師堂
御本尊、薬師如来
移し寺、徳島県温泉山安楽寺
ご詠歌、かりの世に知行争うむやくなり
    安楽国の守護をのぞめよ
 








  
 堂前には多くの石造物や碑があり、地元台宿の出身で、大利根架橋や常総鉄道敷設に功績のあった寺田翁の頌徳碑は小川芋銭が揮豪している。
 隣は取手第二高校です、開校時は女子校でしたが甲子園の高校野球全国大会で優勝した功績は、取手の人々の心に焼き付いています。
 取手第二高校正門から見て、左方の墓地が第2番の念仏院です。


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