相馬霊場第53,82,83,87番、光音堂

 新四国相馬霊場第53番






  阿弥陀堂、或いは弥陀堂
御本尊、阿弥陀如来
移し寺、愛媛県須賀山円明寺
ご詠歌、来迎の弥陀のひかりの円明寺
    てりそう影はよなよなの月
 










  

瘡神様(かさかみさま)と言う瘡(腫れ物やできもの)を治す神様が居られたようです。
阿弥陀堂は、現在解体され空地になっています、本尊阿弥陀像は元の所有者に返還。
常総線車内からも札所堂が見える唯一の霊場です。



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 新四国相馬霊場第82番






  白山の大鹿山清浄院弘経寺
御本尊、阿弥陀如来
移し寺、香川県青峰山根香寺(ねごろじ)
ご詠歌、宵の間のたえ降る霜の消えぬれば
    あとこそ鐘の勤行のこえ
 










 

 徳川家代々のご朱印寺、関東三弘経寺(水海道、結城)の一宇です。水海道の飯沼弘経寺では、徳川家の天樹院こと千姫の頭髪が発見残された廟所があり、水海道では桜開花の頃には千姫祭りが行われています。
 地名の白山とは、白山商店街の一画に白山大権現が祀られていました、金刀比羅神社と共に参拝が多く白山通りは賑わい白山、白山前と言われるようになったのですが白山大権現は、当寺の境内に移されました。
 山門の右側にブロックで囲まれた中に祀られています。なお、白山神社のご祭神は、素盞鳴命、天正18年(1591)創建、詳細は不明です。
  
下総4弘経寺の紹介。
   水海道飯沼弘経寺
   結城と取手と関宿の弘経寺
 


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 新四国相馬霊場第83番






  井野野中の諏訪宮、
御本尊、聖観世音菩薩、
お諏訪様の御神体は諏訪大明神
移し寺、香川県神毫(しんごう)山一宮寺
ご詠歌、讃岐一の宮の御前にあおぎきて
    神の心を誰れかしらゆう
 
   









 
 札所は、民家の軒下を潜るように進むとあります。井野の昌松寺にも八十三番があります。
 写真は井野昌松寺境内の相馬霊場83番です。

 二つあるのはなぜ?
 村人と共にお寺が移ったためです。
 どちらの83番本物なの?
 人気は、白山のようでした。
 なお、昌松寺の第83番は「安産大師」と言われています。
 諏訪山医王院昌松寺は、創建が天文年間(1532~1554)と云われています、大鹿城主の鬼門寺として建立されたようです。
 しかし、大鹿城の衰退により井野台北坪の薬師堂の地へ移りました。更に延宝六年(1678)には井野の現在地へ移りました。
 八十三番が二ヶ所もある詳しい理由は別ファイル(2006/07配付資料)にて紹介させていただきます。
 
昌松寺と薬師堂


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 新四国相馬霊場第87番






利根川橋脇の愛宕神社
御本尊、将軍地蔵尊
移し寺、香川県補陀落山長尾寺
ご詠歌、あしびきの山鳥の尾の長尾寺
    秋の夜すがら御名を唱えよ 










 愛宕神社は、元禄15年(1702)の創建、祭神は天火具突知命(かぐつちのみこと)
 御神体は鎧甲冑姿の武者の木造です、大師も瓦焼きと古い像です。
 大鹿村にあったのですが水戸街道が整備された時に、渡船役務のために水戸家の命令で3部落一戸残らずここに転移して来ました。
 その後再び水戸街道が国道六号として新生してこの神社は現在の場所へと移転し、R(ルート)6を見下ろして交通安全を願っておられるようです。


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 新四国相馬霊場光音堂







   白山の金刀比羅神社、ご祭神は、大物主命
 創建、安永八年(1779) 観覚光音禅師
 先代の神官より「琴平神社」「金毘羅社」でも結構。
 






本殿は光音堂手前の石段上に鎮座


 八十八ヶ所には含まれませんが相馬霊場を開いた観覚光音禅師を奉る光音堂です。
 金刀比羅神社は、四国の金比羅宮から光音禅師の移しによります、光音禅師は晩年ここで余生を過ごしたと言われています。
 4月末に咲く、八重桜は光音堂とマッチして素敵な景観です。
 大鹿山長禅寺はここに創建されました、江戸時代に水戸街道が整備され、現在の取手駅前へ移りました。
 光音井戸の伝説は、当時この地(谷津)では、農耕用水が枯れるという、深刻な問題があり光音は原因を調べて「ここに井戸を掘れば難は救われる」と発せられ井戸を掘りました。
 以来、水に苦しむことは無くなったと言われ、境内の光音井戸は現在でも利用されています。
 石碑には「三神の威徳のます井なり 大師の利益くむぞ うれしき」と喜びの書が刻まれています。
 
晩年の光音禅師の居住地でした、
詳しくは 「観覚光音禅師」をご覧下さい。
 
  


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