相馬霊場8,12,23,30,32,46番

 新四国相馬霊場第8番


 


  井野台の城山観音
御本尊、十一面観音菩薩
花蔵院(現在の井野の普門院とも言われていた)址地
移し寺、徳島県普明山熊谷寺(くまだにじ)
ご詠歌、 薪とり水くま谷の寺に来て
    難行するも後の世のため








 
 昔は花蔵院と言われ井野の普門院が在寺した所と言われ、本多作左衛門重次の居があったそうです、
 一筆啓上 火の用心 お仙(嫡男、仙千代君)泣かすな 馬肥やせ、という短文の文で有名です。
 本多家は徳川家康にとっては非常に重要な重臣の一人でしたが。平和な時代になった晩年は、家康にとって頑固で厄介者であった重次を下総の田舎に追いやったのでしょう。作左衛門は毎夜の様に酒宴をもうけて騒いだそうで地元民にはあまり評判がよろしくなかったそうです・・・。
 鬼作左とも言われ、お墓は、常磐線を越えた桜ヶ丘にあります、甲冑などの遺品は、井野団地の本願寺に祀られています。
 
子供を抱いた大師さまは珍しい・・。


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 新四国相馬霊場第12番





井野台の虚空蔵堂
御本尊、虚空蔵菩薩、十三参りの菩薩さま
移し寺、徳島県摩廬(まろ)山焼山寺
ご詠歌、のちの世を思えばくぎゃう焼山寺
    死出や三途の難所ありとも









 
 虚空蔵堂をのぞくと、宮殿様の厨子が納められている。暗くてよく見えないが、その扉にうなぎが彫ってあり、そのためこの集落の人はうなぎを食さないとのことであるが、この堂の後ろの低地には田圃が広がりよくウナギが採れたという。
 虚空蔵菩薩は、智恵と慈悲の菩薩です、男女十三歳になると智恵の増進と厄落とし参りに虚空蔵堂をおとずれました。
 国学者塙保己一は武蔵国児玉出身の盲目の偉人で、水戸光圀の大事業「日本史編纂」を手伝って「群書類従」を残しました。
 三重苦(見る、話す、聞く)で世界的に有名なヘレンケラー女史は、保己一の墓参に日本に訪れ、世間を騒がせた程でした。
 盲目の保己一が学んだ学問の記憶方法が、弘法大師空海が世に広めた「虚空蔵求聞持法」でした。この手法は現在でも使われています。
 渋谷の国学院大学の近隣に『塙保己一記念館』があるので、或いは、児玉千本桜と成身院さざえ堂拝観を兼ねて児玉の保己一記念館(無量)と保己一の生家を訪れる。
 高崎線と八高線鉄道での日帰りウォークもお勧めです。


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 新四国相馬霊場第23番


 




  井野台の薬師堂、
御本尊、薬師如来と十二神将像

移し寺、徳島県医王山薬王寺
ご詠歌、 皆人の病みぬる年の薬王寺
    るりの薬をあたへまします






 
 薬師堂の創建は、薬師並びに十二神像と共に、遠州の医王山薬師院油山寺より、天平年間(729)行基の開基、孝謙天皇の勅願で昌松寺(しょうしょうじ)に移されました。
 薬師堂由来記によれば、眼病に御利益がありとあります。「め」と、めを裏がした「め」の字の絵馬があります、眼病を治して下さいという絵馬だそうです。
 薬師如来とこれを守護する十二神将が揃っています、下記資料をご覧ください。
薬師堂の創建は古く、堂前の道を大同道といいました、大同年間に十二神将がこの道によって移られたためだといわれています。
薬師如征と十二神将像の写真
井野の十二神将像
 


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 新四国相馬霊場第30番


 



  井野台一乗院墓地
御本尊、不動明王
移し寺、高知県百々山善楽寺
ご詠歌、人多くたち集れる一の宮
    昔も今も栄えぬるかな











 
一乗院は井野の普門院の末寺でした。
文化七年(1810)の石碑があり、道案内と一乗院の名が刻まれています。


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 新四国相馬霊場第32番






  井野の十一面観音堂
御本尊、十一面観世音菩薩
移し寺、高知県八葉山禅師峰寺(ぜんじぶじ)
ご詠歌、静かなる我がみなもとの禅師峰寺
    浮かぶ心は法の早船
 
   








 
 台座正面の刻名で、文化四年(1805)に山王村、椚村の講中が寄進したことがわかる。両村とも取手市の藤代地区です。
 堂の後ろには、数々の尼さんの墓標があります


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 新四国相馬霊場第46番






    井野の阿弥陀堂、或いは弥陀堂
ご本尊、阿弥陀如来
花輪城跡地
移し寺、愛媛県医王山浄瑠璃寺
ご詠歌、極楽の浄瑠璃世界たくらえば
    受くる苦楽は報いならまし









  
  後の大鹿城主綾部時平は文暦(1235)年代に、此処に花輪城の館を建てました。綾部と稲の山崎は戦友で共に取手の郷士となります。
 晩年、息子の平内左衛門に花輪城を譲り、大鹿に砦を造り大鹿城に居城しました。しかし、永禄四年(1561)小文間城主の一色宮内の不意打ち(雁金山の合戦)を受け落城してしまいます。
 取手の名の起源が、ここにもありました。
  隣接するサクラ公園は広大な桜の花園で景勝地でした。お堂のすぐ下を常磐線が走っています。
 
雁金山の合戦 


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