相馬霊場17,19,48,54,63番

 新四国相馬霊場第17番





  成就院成龍寺(廃寺)境内の薬師堂
御本尊、七仏薬師如来
移し寺、徳島県瑠璃山井戸寺
御詠歌、面影をうつしてみれば井戸の水
    むすべば胸のあかやおちなむ
 






 
 ある日、岡堰が干ばつで水が不足しました、岡村の農民は小文間の村民に雨乞いを頼みました。
 小文間の村人が3日間祈祷して通い、雨乞いを演じている間に降雨になり、安堵したとか
 薬師堂は四月八日に御開帳となります


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 新四国相馬霊場第19番





 深雪山明星院、真言宗豊山派
 御本尊、延命地蔵菩薩
 移し寺、徳島県橋池山(きょうちざん)立江寺
 ご詠歌、 いつかさて西の住居のわが立江
    弘誓の舟に乗りて至らむ









 
  札所堂は奈良法隆寺の夢殿を模した八角堂(永代供養塔)開山堂の前に鎮座しています。開山堂の廻りには西洋人面の十六羅漢像が祀られています。
 ご住職の先代は、お遍路さんの宿泊所を営んでおられましたが持病をもちながらも四国に於いて修行したのち、明星院を開基されたそうです。従って、明星院は昭和の戦後に開基された寺院で新しい。
 本尊の地蔵菩薩は四国阿波国(徳島)の立江寺で修行の後、仏身分けしていただいた貴重な延命地蔵菩薩さまです。
 大師霊場第19番に於いては、観覚光音が相馬霊場創建時では薬師堂に開基、現在の薬師堂の第17番は成龍院(既に廃寺)にありました。
 この様な、17番と19番が移された時期は不明ですが、明星院の前身は相馬霊場お遍路さんのお休み処であり宿坊であったようです。
 < 大師道 >
 相馬霊場には、古くからの「大師道」が残っていますが、特に明星院と福永寺の間の大師道は、時代の変化で道が居宅の庭先になり、居宅の庭を横切る所が残っています。
 庭の中を歩いても住人は歓迎してくれているのか、声をかけると嬉しそうに返事をしてくれます。但し、住人の了解は礼儀として相手から得てください。
 また、大師道は形跡が残る程度で草藪で覆われており、マムシの危険性が伺われます、個人で行かれるのは危険です。
 
石下大師との関連
 明星院境内にある多くの大師石像(像高70Cm程)と石下大師との関連を別資料でご紹介します。
 
「常総市石下の大師霊場との関係」
2013年調査記
 
 
 「娘十九はお年頃」と言われがありました、年頃の娘の厄除け大師でした。
 女房の健康は三十三番大師へ参り、亭主は四十二番大師へ月参り。
 「娘おしや十八歳、早十九歳。二十歳までの親心」ということで、二十一番は良縁が結ばれるための願掛札所でした。だがなぜか、二十一番は戦争に繋がり兵役逃れの願掛処でもありました。



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 新四国相馬霊場第48番






  石井山安養寺(廃寺)
御本尊、不動明王
移し寺、愛媛県清滝山西林寺
ご詠歌、 弥陀仏の世界をたずねゆきたくば
    西の林の寺にまいれよ
 









 
 ハウプトファーマ取手という製薬生産会社の裏手に安養寺跡地があります。平石と馬坂バス停の中間に利根川方面への道が一本だけある。
 安養寺は広い境内で大寺院の様子が伺えますが、明治時代に寺の住職が帰農して後を継ぐ者がいなくなった為、廃寺になってしまいました。
 紀元前3世紀時代の貝塚(西方貝塚)の跡地です。民家が三件ほどしか見当たらない2020年現在の様子です。



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 新四国相馬霊場第54番






  高龍山福寿院大聖寺(廃寺)
麻疹不動として名高い不動堂でした
御本尊、不動明王座像(像高3m)
移し寺、愛媛県近身山延命寺
ご詠歌、くもりなき鏡の縁とながむれぱ
    残さず影を写すものかな
 









 
 小文間西方の大聖寺は、寛永七年(1630)尊栄の開祖です。真言宗智山派の祈願寺です、取手では智山派は珍しい。
 お寺は地元の中村一族によって建立されたもので、本堂は昔建てられていたが取り壊され今は面影もありません。
 
 不動明王は、僧尊栄に中村一族が協力して作らせたものです、この不動明王の頭部の中には、一刀三礼で精魂込めて創られた不動明王像が納まっているそうです、 また、腹部からは密文が見つかっており「これを不動明王の誓約速やかにして、その利益余尊に超え一切の魔軍を焼き尽くして、麻疹の難を除く」とあります。
 はしかの病は難病であった時代には、麻疹不動として近隣からの参拝者で多いに賑わったそうで遠く土浦や下館、佐倉や江戸からも参拝に来られたそうです。
   「掃除をしていた老婦人」より聞取り。
 境内には色々の石塔があります、その中に蚕影山神社と蚕霊供養塔が建っています、小文間は昔し養蚕が盛んでした。
 


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 新四国相馬霊場第63番






  海中山明星院福永寺
御本尊、毘沙門天王
移し寺、愛媛県密教山吉祥寺
ご詠歌、身の中のあしき悲報をうちすてて
    みな吉祥をのぞみいのれよ
 
   







 
 取手七福神の福永寺は真言宗豊山派の寺で毘沙門天像は、八尺近い大きな像で有名です。海中山号に相応しく境内は貝塚の山と言えます。
 大師堂は以前の中妻貝塚資料館に近い処にありましたが、台風による大木の倒壊で、2017年現在地に新築され移されました。
 昭和の戦後、ある騒動がありTVで話題となりました、寺の境内のケヤキの木を切り板にしたところ、木目に先代住職の顔が浮かびあがってきたとことでした。
 更に、騒がれている最中に、今度は此の人面板の裏側に先代住職の奥さんの顔まで現れました。TVも各局で公開したため大騒ぎとなり、現在でも本堂に祀られています。
  福永寺境内には、生きながら成仏したという定伝の石棺と鐘楼が一郭にあります。
 隣の貝塚上にある鳥居の後ろに公民館があり、貝塚の説明板があります。中妻貝塚は縄文時代後期に於ける巨大な馬蹄形貝塚であり厚さ1メートルもの貝層が直径二百メートルの円形に広がっています、また骨角器、石器、製塩土器が出土していて足元に貝殻が白く散乱して貝塚の上に立っていると実感できます。
 台地の近くまで香取灘が追っていたということです。
 


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