新四国相馬霊場第68番





柏市の布施弁天、紅竜山松光院東海寺
御本尊、弁財天と聖観世音菩薩
移し寺、香川七宝山神恵(じんね)院
ご詠歌、天笛の音も松吹く風も琴ひくも
          歌うも舞うも法のこえごえ

江ノ島弁天、浅草弁天(上野不忍池)と関東三弁天の一つです。
隣に「あけぼの山公園」があり大きな風車もあり四季の花が咲き
憩いの広場となっています。
布施弁天は桜の名所として関東では有名なところです。

【伝説】布施弁財天の縁起
大同2年(807)香取灘という海であったこの地に紅竜が現れ島を
つくりました。更に里人の夢には天女が夜な夜な現れました。
天女のお告げにより島の洞窟から尊像が見つかりました。
その頃巡錫中の弘法大師はこのことを知り、像を自作し安置して開基
したことを告げたといいます。
里人は弘法大師に帰依して、弘仁14年(823)田畑を寄進して寺を建立
しました。後に源経基によって松光院として再興されたそうです。

【 地名、布施 】
布施は、「お布施」そのものです。神仏や人に物を施しめぐむこと。
布施弁天周辺の地名を「富勢(とみせ)」といいました、現在でも
商店街名や学校名に富勢という名が受け継がれています。
富勢は「ふせ」とも呼べます。
柏市には、布瀬という地名もあります、なにやら布施は布瀬が起源で
あるとの伝承が布瀬にあります。

【平将門の誕生伝説】
  取手市野の井の龍禅寺には三仏堂があり将門が祀った三仏があります。
将門は、刃も矢も受付けない鎧のような身体であったと伝承されて
おります。
将門の母は、強靭な息子を望み龍禅寺へ再三訪れていたある日、西の
空から紅龍が炎と共に下りてきました。
驚いた母は、たちまち男児を出産しました、将門の誕生でした。
紅竜山つまり布施弁天の東海寺の紅龍であった訳です。
しかし、将門は後の戦いで紅竜山を焼き尽くしてしまったのでした。
他説では、将門の身体に紅竜が乗移ったという説もあります。

【境内の様子】
本堂は真言密教の原理により内陣と外陣を区別した構造であり、外陣
の天井には狩野探舟による龍の図を、内陣の天井には本堂建設に貢献
された九十八藩の大名紋章が描かれています。

鐘楼は「からくり伊賀」と言われた、つくば市谷田部の飯塚伊賀七に
よるもので門柱に十二支の彫刻を配し方位を示した建造物です。

境内には「日本庭園」や、敷地隣には「あけぼの公園」があり
オランダ風車や四季の花々は大勢の人々で賑わっています。

宗舞の句碑、涼しさや 真帆にまむかう 山なれば
基角の句碑、玉はつき ひるもふけてけり 布施ごもり


  
 小林一茶の句碑とろうそく屋彦兵衛
 桜で有名な「さくら山公園」の
  北端にある一茶の句碑です。

米蒔くも 罪ぞよ鶏が 蹴合うぞよ 一茶
読み:こめまくも つみぞよ鳥が けあうぞよ

一茶の句集「株番(かぶらばん)」に次の
文があります、
布施東海寺に詣でたら、鶏たちがあと
を追ってくる。
 それが不憫(ふびん)で、門前の家に
寄って米一合を買い まいてやると
あちこちで仲間喧嘩を始めた。
 その間に鳩や雀がやってきて、心静かに米
をついばむ。鶏たちがえさ場にきたら、鳩
も雀もすばやく梢に逃げ去った。
 鳩や雀は鶏たちの喧嘩が長く続けと思って
いるだろう。
 士農工商その他の生業があるが
みなこのようなもの」


ろうそく屋彦兵衛



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