新四国相馬霊場第73番






我孫子市湖北台、都部の大竜山正泉寺
御本尊、延命地蔵尊
移し寺、香川県我拝師山出釈迦寺
  (がびしざんしゅつしゃかじ)
ご詠歌、迷いぬる六道衆生すくわんと
             尊き山にいづる釈迦寺
 山門と大師堂
正泉寺の八重桜                  弘長三年(1263)北条時頼の開基、娘桐姫の創建
女人成仏血盆教出現の図   乳飲み子抱いた延命地蔵像

 こじんまりとした風情のあるお寺です。光音禅師と共に四国の出釈迦寺から土を運び相馬霊場73番を開基した と記された石柱があります。

 血盆経(けつぼんきょう)と女人成仏(にょにんじょうぶつ)
1263年北条時頼の娘桐姫(法性尼)の創建と伝えられています、女人成仏の霊場として著名です。
女人成仏血盆経出現図等の絵画3点と血盆経縁起・紺紙金泥血盆経をはじめとして版木類一式を含む資料は近世民間信仰を明らかにするものです。
 平成十年三月千葉県指定文化財(有形民俗文化財)

語り告がれた話し   
 桐姫は十六歳の頃、法性尼となってここに法性寺を創建しましたが病に倒れ世を去った。
 百年後、村の一娘が貴婦人の姿となって、腰から下を紅のように染め苦しみ、
和尚に「私は桐姫法性尼です、血盆地獄に墜ち苦悩が絶えない。どうか法性寺
にある延命地蔵菩薩にお祈りをして欲しい」と言って和尚に頼んだ、和尚は
直ちにお祈りをあげるとその夜、「直ぐに手賀沼へ行け」とお告げがあり和尚は
早朝、沼へ行った、すると沼底から白蓮が一本現れその中に経文が乗っていた。
 和尚は経文を持ち帰り、娘の枕元で読むと「私は法性尼と共に成仏いたします」と言って息を絶えたが、程なく蘇生して普通の娘に戻ったという。
 ここに「血盆経」が出現し女人成仏が可能となり、この頃大騒ぎとなり時の将軍
義光は「女人成仏血盆経出現道場」の額を贈ったといいます、
又手賀沼の清い泉から出現したことから「正泉寺」と改められたそうです。
この後、「延命地蔵尊」と「血盆経」は多くの婦人信仰者を持ちましたが、

明治初期の廃仏棄釈の後、血盆経は「女性卑下の教えであり男女同権の
思想に相応しくない」という反対派によって、布教を禁止されました。
当時は女性に最も支持されていたのに、半強制的な反対派の意見は屈折
した思考の元に、女性達の意見を無視した宗教弾圧としか思えません。
    
    【地名、都部(いちぶ)】
    平安時代の京都は「都として一番目」から、都は一と共通する意味が
    ありました、一番部落が都部落に変化の説、
    もう一説は、
    経典を唱えて、手賀沼の水面の一部分から水が噴き出したところ
    による「一部」が「都部」へ変化した由来もあります。





 

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