相馬霊場第27番、55番、65番、75番

 新四国相馬霊場第27番






  高野山(こうのやま)最勝院
御本尊、不動明王
移し寺、高知県竹林山神峯寺
ご詠歌、みほとけの恵の心神峯(こうのみね)
  山も誓いも高き水音
 






  
 俳人小林一茶の日記「七番日記」の中に、文化七年(1810)三月二十九日「それから布川の俳友月船宅に向い銚子道を通り、高野山村にさしかかり四国二十七番札所の小堂が新築され、参拝人で賑わいをみせていたので参拝に立ち寄った」とある。
 又、「四国二十七番の立派な石柱が立って」とあるのは、霊場石柱を新造して建立したのであろう。最勝院の名は出てこないが当地であることは間違いない。
 高野山「こおのやま」地名の読み「鴻巣」や「鴻ノ山」と記す所に同じで、弘法大師廟所の和歌山県高野山とは関係が無い。
  



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 新四国相馬霊場第55番






羽黒山円福寺、江戸時代初期の創建。
御本尊、阿弥陀三尊
  観音菩薩と勢至菩薩の脇侍
移し寺、愛媛県別宮山南光坊
ご詠歌、このところ三島に夢のさめぬれば
 別宮とてもおなじすいじゃく








 札所に並んて鯖大師堂があります。鯖大師とは、弘法大師が四国徳島県海部の別格4番にて馬子の塩鯖を請い、海中に放すと生きかえって泳いだとする由来に依るもので手に鯖を持つ大師立像が厨子の中に安置されている。
 大師堂の足元には四国四県を表したみかげ石が敷かれている。柴崎は旧水戸街道沿いに栄えた渡しの船宿場で「駆込み」等、江戸の大店の影響が伺える処です。
 隣接する羽黒妙見社、現在の柴崎神社の別当寺でした。
 
 


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 新四国相馬霊場第65番






  真言宗日照山無量院
御本尊、不動明王
移し寺、愛媛県由霊山三角寺
御詠歌、おそろしや三つのかどにも入るならば
     心をまろく慈悲を念ぜよ
 







 
 寛文十年(1670)建立と読める如意輪観音像が木の根に抱き込まれています、また、正和元年(1312)在銘の阿弥陀三尊種子板碑があります。
 
 現在のご本尊は不動明王ですが、昔は十一面観音で「青山の十一面さん」といわれていました。
 青山は利根川に面した低湿地と沼地であり、利根川の洪水に悩まされていました、村民は水が溢れると無量院へ逃れたそうです。また、洪水時の非難場所として、又水戸街道の難所であった渡し船場は、多くの人が世話にならなければならない寺であったのです。
 
 国道6号利根大橋と常磐線の鉄橋の先には、取手市街を望むことができる無量院です。


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 新四国相馬霊場第75番






曹洞宗青龍山医王院東源寺
御本尊、薬師如来
移し寺、香川県五岳山善通寺
御詠歌、 われ住まば世も消えはてじ善通寺
     深き誓いの法のともしび








 光音禅師手植えの榧(マガヤ)が本堂前庭にある、樹令二百余年昭和十年に県の天然記念物に指定された名樹で枝をひろげ今も沢山の実をつける。 その実から虫くだしの好薬が作られたとか。
 
 光音禅師は、東源寺の風光は弘法大師生誕の地、善通寺に似ていることからここに第七十五番を移されました。
 禅師が取手金刀比羅の草庵に往生の時はわざわざ金剛杖を贈越されて大師堂には光音禅師の位牌と共に安置されました。
 尚、75番を基点に相馬霊場を左右どちらからでも巡りますと取手の一番迄の距離が等しく、東源寺75番は中間の札所であるところから「中回向所(なかえこうどころ)」と定められました。
 柴崎は、水戸街道と船取道(県道、船橋取手線)の分岐するところですが、かつて新木城を築いた「新木の蔵人」は柴崎に柴崎城を築き移住しました。
 
 水戸街道を上ると「電力研究所」があります、この地は我孫子城址と云われています、桜の開花の時のみ一般の出入りが出来る研究所内の桜老木は一斉に開花して見事であり、隠された花見所になっています。
 


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