新四国相馬霊場第9番 第51番

 新四国相馬霊場第9番






  取手市小堀(おおほり)龍頭山常円寺(空寺)、
御本尊、不動明王、慈覚大師造
移し寺、徳島県正覚院法輪寺
御詠歌、大乗のひほうもとがもくつがえし
    転法輪の緑とこそきけ
 









小堀は「おおほり」と呼びます。  

  
 小堀と記して「おおほり」は取手市です、利根川の西側(我孫子市)に飛地してますが利根川の流れ方を変えた結果です。
 明治初期の頃は葛飾群(相馬郡)井野村といわれていました。水害対策のために川の直線化が行われました。
     地名の小堀は、小さな堀が沢山あり、小さな堀を一まとめに呼ぶ「多くの堀」が「おおほり」という仮説がある様です。
   銚子から利根運河(柏~野田)を経由して江戸川を下り東京へ、又、水海道から鬼怒川を経て東京へと定期船が運行していました。
 江戸時代の取手はこの小堀が河岸として栄え、町の中心地でもありました。明治29年鉄道の開通で水運は衰退しはじめました。
 古利根沼となった利根川は釣りの名所となり、小堀一帯は里山の風情を残し、静かな佇まいの街並みは昔の河岸の賑わいとは相反する情景です。
 小堀(取手)の渡しは、札所前の道を利根川土手上の信号付横断歩道を渡ると、河原に渡し場があるので取手市側に渡る事が出来ます。
     【常円と小堀】
 小田原城と共に佐倉城も落城し、病床にあった千葉重胤は守護神である不動尊像を、一宇を設け国家安泰と成すよう椎名右京亮(すけ)に遺言し落命した。右京亮は名を常円と改め千葉家菩提巡礼の旅に出ました。ある年、小堀に疫病が流行し常円が不動尊像を尊したところ不動尊像を拝んだ村人は報われました。村人は小堀には鎮守が無く尊像を迎えることを願い、明暦元年(1655)常円は常円寺を開基したと云われています。



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 新四国相馬霊場第51番







曹洞宗祝融山法岩院、俗称、田寺(たでら)
御本尊、釈迦如来
移し寺、愛媛県熊野山石手寺
ご詠歌、 西方をよそとは見まじ安養の
  寺にまいりて受くる十楽









 近くの古利根沼辺に中峠城址公園(芝原城ともいう)があり、戦国時代の武将河村出羽守勝融の砦でした。河村出羽守により開基されたのが法岩院で出羽守の墓が本堂横脇の丘上に残っています。
 河村出羽守勝融とは後北條配下の豪族でした。永禄四年(1561)小田原城の戦いで豊臣軍に敗れた関東武士団の終結となりました。
 中峠城もまもなく落城し城主の家臣で城代であった、林伊賀守順道は城主の妻子の先途を見届けたあと、従士三十二人と共に自刀し悲運をとげます。順道(なおみち)の悲運を悼み、順道塚(じゅんどうづか)が当寺から東方の竹薮の中に残っています。
 【中峠(なかびょう)】
 峠を「びょう」と読むのは千葉県人だけだそうです、「とうげ」と同意語です。「びょう」の名付け主は河村出羽守と聞きます。稲荷峠=とうかんびょう、他上総や下総国に多い。
 



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