相馬霊場24,41,58,89番


 新四国相馬霊場第24番






布佐の延命寺
御本尊、虚空蔵菩薩
移し寺、高知県室戸山最御崎寺(ほつみさきじ)
ご詠歌、明星の出でぬる方の東寺
    暗き迷はなどかあらまじ







 
 文禄二年(1593)大和国の法隆寺から虚空蔵菩薩を迎えての創建と伝わる。
 宝暦十二年(1762)の御法統願書には、虚空蔵堂、釈迦堂、観音堂の他に客殿や庫裏、惣門とかなりの大きさの伽藍であったようです。
 延命寺は眠病治療の御利益あらたかで人々の信仰も篤かったとのこと薬師如来信仰にまでにもなりました。
 昔は利根町布川の徳満寺の末寺でした。光音禅師の堂があります。


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 新四国相馬霊場第41番






  布佐下新田の稲荷神社
御祭神 宇賀御魂神
御本尊、十一面観音菩薩
大師堂の本尊は龍光寺の写しです
移し寺、愛媛県稲荷山龍光寺
ご詠歌、この神は三国流布の蜜教を
    守り給わむ誓いとぞきく
 








 
 稲荷神社は新田開発にともない、豊饒を祈って奉祀された御社で、主祭神は宇賀御魂神(うがみたまのかみ)で、江戸中期には創建されていたといいます。
 相島新田の彼方に手賀川が流れ、右手後方に千間掘りの堤が一直線に伸びている田園風景が広がって見えます。


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 新四国相馬霊場第58番






  布佐都の観音堂
御本尊、馬頭観音菩薩、開帳は4月21日
移し寺、愛媛県作礼山仙遊寺
ご詠歌 たちよりて作礼の堂に休みつつ
    六字を唱え経を読むべし
 
   








 
 布佐の利根川辺りでは鮭漁が行われ名産であったという、今でも網代場(あじろば)という地名が残っています。
 【お遍路渡し】小文間への渡しの舟付場があったのですが、戸田井橋が出来てもお遍路さんは利根町へは渡らなかったようです。渡しは昭和三十年代まで運行していました。
 【観音堂落慶の様子】
 昭和34年の観音堂新築落慶には、東京魚河岸の大きな支援があったそうです。布佐河岸と相馬霊場は水運が盛んであった時代では、大都市江戸との繋がりが重要であり、 その経済効果が布佐の繁栄をもたらしたのでした。大店は買付だけではなく、客も一緒に連れて相馬霊場をお遍路してから帰ったようです。
 【鮮魚(なま)街道】  観音堂の後ろの道を「なま街道」といいます、江戸へいち早く鮮魚を馬で運ぶ街道で柏、松戸を経由して翌日には江戸へと陸路の運送に利便をはかった街道でした。
   
なま街道を歩いた記録と詳細説明


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 新四国相馬霊場第89番






布佐浅間前の仙元神社
御祭神、富士山霊神の木花咲耶姫
移し寺、ありません
ご詠歌、八十や九によろずの願い富士浅間
    大師のめぐみふかき手賀沼
ご詠歌は、相馬霊場のオリジナルです。






  
 静岡県の富士吉田市にある「北口本宮富士浅間神社」に代表される、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭った火山鎮護の神が祭神です。富士吉田市は、富士山の登山口としても有名です。
 
 観覚光音禅師は、ここで「天の声」を聞いたといいます。浅間山大噴火により、火山灰による川の増水などで農作物や疫病など悲惨な状況であった様子が伺えます。
 「どうか、二度と災難が訪れ無きようこの地が栄えるよう霊場を示して」と観覚光音禅師は聞いたそうで光音は自ら「第89番」として番外を追加しました。


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